あなたは「誰」と起業の旅に出ますか?
みなさんこんにちは、applemint 代表の佐藤 (@slamdunk772) です。
今日みなさんにお話ししたいのは、「起業」は「何をする」より誰とするかが一番重要なんじゃないかってお話をしたいと思います。
僕は今から6年前に台湾の政治大学の大学院 (MBA) を卒業しました。僕と同年代に卒業したクラスメイトの中には卒業後すぐ起業した優秀なメンバーがいました。僕が起業したのは彼らが起業してから2年後です。
僕と同期で起業した彼らは起業後、ある出来事をきっかけに台湾のメディアがこぞって彼らを取り上げ、その当時は実に多くの投資家が彼らをサポートしました。
僕はあの頃羨望の眼差しで彼らを見ていました。それが6年経った今では僕と彼らではほぼ立場が逆転するまでになりました。
今日このブログでは僕が知人や、起業した同期のメンバー本人から聞いたその後彼らが辿った道と僕と彼らの立場が6年後どのようにして変わったのかお話をしたいと思います。
※個人の団体名について触れるので会員はこの話は絶対に内緒にしてください(と言われると喋りたくなるかもしれませんが、利用規約に沿って話さないでね)
2015年にパソコン越しに見たクラスメイトの活躍
今から6年前の2015年、僕は台湾から日本へ戻り広告代理店に就職していました。
同じ時期、僕の大学院のクラスメイト数人は世界的に有名なビジネスコンペ Hult Prize に挑んでいました。
- Hult Prize
Hult Prize とは、クリントン元アメリカ大統領も支援している大学生及び大学院生による社会起業を促す世界規模のビジネスコンテストです。
そんなビジネスコンペなので、ハーバードやケンブリッジ大など世界の名だたるビジネス校の学生が参加していました。その中でなんと台湾の政治大学の僕の同期は世界の有名校を退け優勝を果たします。
ビジネスコンペの決勝はネット上でライブで見れるということもあり、その日は確か日曜日の午前中だったので、僕も見てました。
ちなみにここだけの話ですが、優勝したメンバーの中には僕が苦手なメンバーがいて、同じ大学の同期なのに正直全然応援してませんでした😆(誰かは当ててみて下さいw)
大学院時代、そいつは僕の事をよく見下しいつも僕の意見に否定的なコメントを発していました。
優勝者を発表するときは財団の支援者でもあるクリントン元アメリカ大統領が壇上に上がって自ら優勝者をアナウンスしました。クリントンが優勝者として僕の大学院時代の同期のチームを発表した時は正直複雑な気持ちになりました。
一応僕もその当時から起業はしたいとずっと思っていたので、「あー先を越されちまったな」とか思ってました。
その後の彼ら
Hult Prize は世界的にも有名なビジネスコンペという事もあり、優勝後彼らは台湾のメディアに引っ張りだこでした。大学院の同期からは連日のように彼らはあーだこーだみたいな話を聞きました。
政治大学はあたかも自分達が彼らを輩出したかのように宣伝を始め、大学院のプロモーションに度々彼らを使用しました。
その後優勝チームのメンバーは政治大学に「俺らの名前を使うなら使用料を払え」と言ったそうです。まーわからなくもないですね😆
彼らがビジネスコンペで発表したビジネスモデルとは個人の投資家を集い、そのお金を個人や学校に送り、個人から投資のリターンを得るようなものでした(詳しくは忘れました。ごめんなさい)
彼らのすごい所はビジネスコンペ本番前に既にそのアイデアを実行し、実際に学校を建てた事です。この事実を見た審査員は「あ、このビジネスモデルは机上の空論じゃない」と思って、優勝につながったんだと思います。
しかし、優勝してから1年後の2016年に僕が台湾に戻ると彼らはもはやこのビジネスをほとんどしていませんでした。彼らは忠孝敦化と國父紀念館近くにカフェを開き、フェアートレードのような事を始めていました。
ビジネスコンペの賞金は約1億円 (100万USD) ですが、一回で全額支給されるのではなく毎月一定のノルマを達成して支給されるようです。
また、メンバーの1人のエルサルバドル人はビジネスコンペ後自分の国へ帰り、台湾にいたオリジナルメンバーは4人から3人になってました。(エルサルバドル人の彼はエルサルバドルで学校を建てるために戻ったとかって聞きましたが、実際はわかりません)
僕はこの時、「あ、このチームはそろそろやばいだろうな」って思ってました。本当に嫉妬とかではなくやばいと思ってました。理由は後ほど話します。
しかしそんな僕の思いとは裏腹にカフェの事業はまーまーのようで(本当に順調かはわかりませんが)、その当時は台北101の中に出店し、西門にもカフェを出店し事業を拡大していました。
カフェの閉店、そして株の売却
程なくして台湾にいた彼らの中のホンジュラス出身のメンバーが台湾から自国へ帰りました。そして同じぐらいのタイミングで彼らのカフェ第1号店が閉店しました。するとドミノ倒しのように101のお店も閉店しました。
また、起業した同期のメンバー1人から聞いた話では、自国へ戻ったエルサルバドル人のメンバーとホンジュラスのメンバーはその後会社の株を残ったメンバーにすぐに売却したそうです。要するに彼らは諦めたという事です。
その後残った台湾にカナダ人のメンバーと新たに加わった台湾人メンバーはアメリカに行ってカフェ事業を展開しつつ、西門にあった最後のカフェを忠孝新生付近に移転してました。
そして2021年、彼らはついに忠孝新生のお店も閉じ、彼らのカフェ事業は終わりました。
正直あれからメンバーとは話していないので、今会社がどうなっているかは分かりません。会社はまだ残っているため、もしかしたらカフェ事業は続けているかもしれませんが、オリジナルメンバーは1人になりました。
組織は結局「人」が全て
彼らが成し遂げた事は偉大です。ビジネスコンペに参加した学生の中にはアメリカや世界中のトップの大学院の学生がいました。
ファイナリストにはカナダの東大とも言われるトロント大学やイギリスのオックスフォード大学の大学院生がいました。そんな彼らに勝ったのです。
でも彼らはその後3年ほどでバラバラになります。その一方で彼らが起業してから2年後に起業した僕らは5年経った今も成長しています。なぜか?理由は一緒に起業をした「人」だと思っています。
まず、起業後すぐにメンバーのうちの一人が台湾から自国へ帰った時「あー彼はやる気なかったんだなー」って思いました。次にホンジュラス人のメンバーが自国へ帰った時、僕は「あ、もう終わったな」って思いました。
また、4人のメンバーの内2人は僕が大学院時代に受けた印象では CEO タイプで、 CEO に従うようなタイプではありませんでした。
つまり、絶対衝突しまくると思ったわけです。例えばスティーブ・ジョブスが社内に3人もいたらやばいですよね😅
ビジネスコンペのように短期的には問題ないけれど長期的には必ずメンバー間で合わなくなると予想していました。結果、本当に彼らは別れます。
その点僕は Eric という素晴らしい副将に恵まれました。幽遊白書という有名な漫画の中で蔵馬というキャラクターが「組織のカギは副将が握る」という名言を発していましたが、本当にそう思います。Eric は僕のサポート役に徹してくれています。
起業後メンバー同士で意見がぶつかる事はあります。しかし最後に決めるのはリーダーである CEO で、その決定に対する責任を負うのも CEO です。残念ながら僕の決定は覆りません。
だから僕はみんなを勝たせる策と行動をします。ネット上で誹謗中傷が相次ぐ今の時代に僕がわざわざ Youtube で顔を出ししたいと思いますか?しないでいいならしませんが、僕はみんなを勝たすためにやってます。
このブログをまとめると今後台湾で起業を考えている人は以下の事を気をつけるといいと思います:
- 最後のまとめ
・諦めないでついてきてくれるメンバーを探すn・利他的なメンバーを探すn・リーダーは決定をし、副将はサポートに徹するn・副将はリーダーのサポートが嫌なら自分で別の会社を立ててリーダーになるn・リーダーの決定は絶対、その分リーダーは責任を負う
めちゃくちゃ当たり前に聞こえますが、僕のクラスメイトの事例から改めて人の大事さを理解しました!
以上台湾からでした!