新人 There is a first time for everyone

みなさんこんにちは、applemint代表の佐藤です。
今日は"新人"というテーマで、またエッセイ風のブログを書きたいと思います。
applemintには9月に新人が入社しました。
そもそも「新人になれる」ということ自体が、実はとてもありがたいことだよなーと最近感じたので、今回は新人をテーマにして書きます。
なんでそう思ったかというと、台湾で会社を経営している立場からすると、今後はますます「新人」の出番が少なくなるなーと思ったからです。
昔であれば、新人が入社して何も分からなくて動いてないとき、「何をしたらいいかわかりません!」と新人が言うのは結構通じました👍
ところが今はAIを使えば、上司の説明なしでも色々進められます。
そうすると、企業側は自然と新入社員に対してAI を活用して進んで欲しい期待が生まれます😅
その結果、AIを活用せず、自力で前に進めない人材は....
言い方は厳しいですが、それだけトレーニングコストもかかるため、ますます選ばれにくくなる気がします。
つまり、AI によってどんどん新人(新卒)が選ばれにくい環境が起きそうな気がするってことです(日本は例外!? 🙃)
だからこそ、これまで辛かったけれど "新人"を体験できたのはすごい貴重なことなんじゃないかって思い始めています。
ということで、改めて自分の"新人" 時代をエッセイ形式で振り返ってみたいと思います!
アメリカでの新人生活

AI時代は、サービス業など一部を除けば、"お金を払って新人を雇う理由" が以前より薄れていくと思う。
だからこそ、自分で“新人”になれる機会を積極的に創らないといけないと思う。
あ、だからと言って、今の職場が嫌になって転職しまくるってのはちょっと違うかな😅
この新人になるための、一番手っ取り早い方法は海外へ行くこと(留学とか)だと思う。
「新人」をどう定義するかにもよるけど、知らない国へ行けば誰でもその国の新人になれる。
僕は親の都合でアメリカに渡り、アメリカで新人になれた貴重な経験を持っている。
そこでまずは、僕のアメリカ新人時代について話をしたい。
アメリカ移住といっても親の駐在についていったわけではなく、母親が僕の教育のために知り合いを頼って移住しただけのこと(それだけでもすごいことなのだが....)
ロサンゼルスの1ベッドルームのアパートに母親と二人で住み、公立高校に通う、ごく普通の暮らしを送っていた。
ただ、 "普通の暮らし" が出来るまでにかなり苦労したのは覚えてる。
アメリカの学校初日は地獄だった。
幼少期にアメリカに住んでいた影響もあって、英語の発音は覚えていたものの、ほとんど忘れて喋れず、登校日は怖くて最後まで行きたくないと母に抗議をしていた。
当たり前だが結局行くことになり、車を20分ぐらい走らせ、学校についてからまずは母と事務室のようなところで入学手続きをする。
入学手続きを済ませた後、僕は母が付き添ってくれる事を内心期待していたが、そんなはずもなく、母は仕事のため足早に去ってしまった。
ちなみにこの時13か14歳🙃
どこの親が中学生の息子に付きっきりで、一日学校にいるんだって話だ👊
一人で取り残された時のあの絶望感は半端なかった😅
事務スタッフから紙切れを一枚渡されたが、読めないし、どこへ行けばいいのかも分からない。
幸い、日本在住経験があって日本語ができる中国人のミミという女の子に助けられて、ESLのクラスに辿り着くことができた。
ESLとは英語ができない生徒のためのクラスで、色んな人種がいた。基本的に初心者・中級者・上級者の三つのクラスに分かれている。
僕はもちろん初心者。
クラスに着くと、すでに何かの授業が行われていた。僕は先生に自己紹介を促されたけど何も言えず、先生も理解を示し、授業はそのまま進んだ。
多分過去に僕みたいな生徒は何百と扱ったことがあるんだろう。
その後先生は授業を続けたが、正直その日の授業内容はまったく覚えていない。
ただボーと話を聞いていた。
よくわからず休憩時間になり、お昼ご飯を食べることになった。
当時のアメリカの中学校のランチは、基本的にカフェテリアに行って1〜2ドルのピザやブリトーを買うか、自分でサンドイッチを持参するかのどちらかだった。
僕は確かサンドイッチを持って行った記憶がある。
実はこの学校には幼少期の幼馴染が通っていて、ランチタイムには彼と会うことになっていた。
彼はアメリカ生まれ・アメリカ育ちだけど日本語ができた。
もちろんクラスは別々で、彼は「マグネット」というちょっと勉強ができる生徒向けのプログラムで授業を受けていた。
そんな彼とランチタイムに会って、ひとときの日本語タイム。
ただそれは本当に束の間の安心タイムで、彼は僕と少し話すとすぐ別のお友達と話を始めた。
ここでも結局、孤独なランチタイムを過ごした。
もし僕がもう少し外向的な人間だったら、たとえ言葉が通じなくても「samurai!」とか「ninja!」とか言って輪に入れたのかもしれない....😅
この頃はストレスで、ほぼ毎日吐いていたと思う。
最近、知り合いの娘さんが台湾から日本へ高校受験のため母親と一緒に引っ越したものの、日本に馴染めず台湾へ戻ってきたという話を聞いた。
その「逃げ出したくなる気持ち」はとてもよく分かる。
僕もその当時の引越し先が台湾だったら、真剣にどうにかして日本へ帰ろうとしたかもしれない😆
でも、あの当時新人になれる環境があったからこそ、今の自分がある。
もちろんこうした突然の環境の変化は誰にでも向いているわけじゃないけど、若いうちに“新人になれる環境”に身を置けるのは、すごく価値があることだと今は思える。