日本の選挙に見る多様性、台湾の言論に感じる“均一感”とは?

みなさんこんにちは、applemint 代表の佐藤 (@slamdunk772) です。
今日は、選挙期間中に日本に滞在していた僕が感じた「日本の選挙」についての印象と、最近の台湾における言論の自由についてお話ししたいと思います。
できる限り中立的な視点で書くつもりですが、内容によっては一部の政党を肯定または否定するような表現になる可能性もあります😅(その意図は全くないんですけどね…)
このブログでは、あくまで日本と台湾の現状について、できるだけ客観的にお伝えできればと思います。
日本人ファースト or 外国人受け入れ問題

今回、選挙期間中に日本に滞在していたこともあり、日本の選挙の様子を見て「日本も他の国々と同様、二項対立が目立つようになってきたな」と感じました。
たとえば、「外国人にNoを突きつけて自国民を守る」vs.「外国人を受け入れて多様性を重視するか」といった対立構造は、わかりやすい二項対立ですね。
正直、どちらの主張にも一理あります。
ただ、僕が気になるのは、それぞれの選択肢を選んだ先にどんな未来があるのか、つまりメリットやデメリットについての説明があまりなされていない点です。
「日本人を守るために外国人に厳しくしましょう!」というスローガンはよく耳にしますが、それによってどんな悪影響が起こり得るかまで語られることは少ないように思います。
逆に、「多様性を重視して外国人を積極的に受け入れましょう!」という側の主張においても、その選択によって何が起こり得るのかをきちんと説明している人は少ない印象です。
心理学には「両面提示」という考え方があり、何かを説明する際に良い面と悪い面の両方を提示したほうが、相手からの信頼を得やすく、説得力も高まるとされています。
僕自身、営業の場面ではこの点をとても意識していて、そのおかげで商談をうまくまとめられたことも多くあります。
とはいえ、政治家の方は自分が推し進める政策について、わざわざ悪い点を言うことはほとんどないですよね…😅
なので日本でも台湾でも、政治家の話があまり信じられないと感じるのは、こうしたプラスとマイナスのバランスある説明が欠けているからなのでは?とたまに思います。
どっちを選んでも失うものがあるのを理解する

僕の知り合いには保守的な政党に対して反対している人&肯定している人の両方がいます。
両者共通しているのが、意外と文化や習慣の悪影響を理解していない点です(都合の悪いことには目を瞑りたい心理も働いていると思います)
これは、外国人を多く受け入れたら犯罪が増えるとかそういう表面的な悪影響ではなく、習慣が変化することによって起きる悪影響です。
例えば、日本の少子高齢化に対して悲観的で、外国人労働者の受け入れを積極的にしたい人がいた場合、意外と商習慣への影響を理解していないことが多いです。
外国人を多く入れた場合、まず想像できるのはアメリカみたいなガチガチな契約社会です。
アメリカは多様な民族が暮らす社会であるが故に、価値観の統一が非常に難しく、マニュアルや文書化が欠かせません。
してないと訴訟を起こされる可能性もありますから。
ビジネスの現場でも仕事は契約上決まっていて、主体的にそれ以上を勝手にするケースはほとんどありません。
一方僕が日本の会社とお仕事をしていて、契約書を締結するときに思うのが、グレーゾーンの多さです。
例えば先日交わしたある契約では、僕はトラブルが起きた時の責任に対して、様々なトラブルを想定し、その各トラブルの責任を明確にしようとしました。
その結果相手から「そっちがそんなに細かくやるならうちも細かくやりますよ。ここはお互い一歩引いてこのままにしませんか?」と提案がありました。
要するに、トラブルが起きた時の責任の所在を不明瞭にするってことです。
日本って「それ言わなくてもわかるでしょ」とか「暗黙の了解」みたいな付き合いってすごい多いと思います。
仕事に関しても、雇用契約やオファーを出した際に書いてある仕事内容と、実際の仕事内容が異なることはよく起きます。
台湾も少し似ている気がします。
日本は単民族国家で、阿吽の呼吸というか、説明や価値観の統一コストが多民族国家に比べて低いからできると思うんですけど、外国人が増えたらそういうわけにいきません。
今日本で起きている外国人関連の問題も結局ガチガチの契約社会ではなく、グレーゾーンを多くした結果、外国人に悪用されて起きていると思っています。
じゃー契約でガチガチに縛られた社会を望みますか?って言うと、それは嫌な人が多いと思います。
慣れてませんからね。
だからと言って、保守派がすすめるような日本人だけの社会にすると、日本はいつまでも日本の阿吽の呼吸的な商習慣から抜け出せず、バリバリの契約社会の海外と対峙出来なくなります。
そうすると、ますます外貨を稼げず、日本のガラパゴス化が進み、円安が進めばますます貧乏になるでしょう。
僕が思うに、「選択」とはどちらかが優れているから選ぶというよりも、与えられた選択肢の中でそれぞれの“デメリット”を理解し、そのうえで「どちらの欠点なら受け入れられるか」を考えることだと思います。
台湾も密かに言論の自由がなくなっている気がする…

なんだかどっちに転んでも日本では厳しい未来が待ち受けているように見えますが、僕はこうして保守派とリベラル派がきちんと言いたい事を言えているのは健全だなーと思います。
それというのも、個人的に台湾では最近民主主義の精神に則って言論の自由が保障されているものの、実際には、色んな場面で言論が制限されているのを感じるからです。
例えば、先日出した「台湾在住の日本人が中国について語る」というYouTube 動画は動画を客観的に見れない台湾人の方から、「中国について肯定しないでください」みたいなコメントが届きました。
日本人からも反中国の嫌なコメントもきたので、すぐに停止しました。
こうした話は、何も台湾に限った話ではなく日本でもX上で、反中国の罵詈雑言が行き交っているわけですが、現在の台湾では中国を肯定するとすぐに「あいつは共産党からお金をもらっている」とか「あいつは中国派」みたいな話になります。
中国が脅威なのはわかりますが、今の台湾では中国に関してちょっと言論が極端な気がします。
そしてこういう話をすると、「佐藤さんは中国の脅威を理解していないからだよ」とマウントを取られます。
「うーん、そういうことじゃなくて、そういう発言によって、自由に意見を言いづらい雰囲気が生まれてしまうのが良くないと思うんですよね」って言いたいんですけどね😅
また、昨今民進党議員による国民党議員の罷免選挙が各地で行われようとしています。
これで国民党議員がガンガン罷免され、民進党の議員ばかりになる未来が本当にいいのか、僕はむしろ疑問を抱いています。
追い詰められた国民党は、国民の支持を得るためなのか立法院に1万元の支給を提言し、この政策は通りました。
追い詰められたらバラマキをしようとするのは、どこの国も同じかもしれません😅
先日ご紹介した地政学の本や古典ラジオでビスマルクの話を聞いていると、争いを起こさせないための外交って表面上は弱腰に見えたり、北朝鮮のように奇抜に見えるケースが多々あると思います。
つまり、大事なのは、様々な意見が飛び交いどっちにもよらない社会が実は健全って話で、これがどちらか一方に偏ると争いが起きている気がします。
確かに日本は選挙への参加率が低かったり課題はありますが、台湾に住んでいる僕は台湾は台湾でなんかものすごく政治に関する発言に関しては、窮屈さを感じているみたいなお話でした。
あ、だからと言って僕は国民党を無条件に支持したいわけでも、民進党を批判したいわけでもないことはお伝えいたします。