【台湾原住民とサッカー】夢を追うことが難しい台湾原住民の現実

みなさんこんにちは、applemint 代表の佐藤 (@slamdunk772) です。

台湾ではあちこちにバスケットボールのコートがあり、LINE TVでも連日アメリカのバスケットボールの試合がライブで放送されています。野球も人気です。

一方でサッカーはというと、その人気はまだまだです。一応企業のチームと一部アマチュアが参加するセミプロのようなリーグはありますが、なんとこのセミプロリーグの観戦は現在タダだそうです….

マネタイズできない事業は決して持続的ではありません。これが続くようであれば今後も台湾でサッカーが人気になることはないでしょう。

そんな台湾のサッカー界で活躍しているのは台湾の原住民です。というよりサッカーに限らず台湾のスポーツ界では多くの原住民の方が活躍しています。日本のプロ野球界で活躍された台湾人の陽岱鋼選手も台湾の原住民です。

そんなこともあって台湾では原住民 = スポーツができると思われがちですが、実はそうじゃなくて台湾の環境が原住民をスポーツに強くさせていると僕は思っています。

このブログでは恐らくみなさんが知らないであろう台湾の原住民のちょっと切ない現状と原住民とスポーツについてちょっとお話をしたいと思います。

台湾原住民族の現状

まずは、台湾の原住民族の現状について簡単にお話をさせてください。台湾には現在いくつかの原住民がいます。日本でも知名度抜群のビビアン・スーは原住民族の出身です。

leo

超余談ですが僕は以前花蓮にいた時、阿美族という原住民族に間違えられたことがあります。

台湾にどんな原住民がいるかは wikipedia にお任せして、ここでは原住民族の多くが低所得者ということについてまずお話をします。

台湾の大手人材会社104の調査によると2020年の台湾人の就業者の平均年収は65.6万元 (月々5.4万元 =約22万円) だそうです。

台湾で年収が高い職種TOP3は(1位) 半導体、(2位) 電子・通信、(3位) 金融業です。これらの職種に勤めている人の平均月収は 6.7万元から7.6万元あります。

一方で原住民族の収入は最新の調査によると月々平均30,999元です。つまり原住民の月収は台湾人の平均より低いということです。

参考:110年第1季原住民就業狀況調查報告

次に、彼らがどういう職業についているかというと、全体の15.23%が製造業に従事し、全体の15.09%が建築や土木、次に 10.45% が観光業と続きます。また、原住民の約 1/4が「サービス業」に携わっています。

要するに原住民族の半分以上が所謂ブルーカラーと呼ばれる職業に従事しているということです。

台湾原住民族の歴史

どこの国でも原住民/先住民は虐げられてきました。台湾も例外ではありません。

台湾の原住民の方々は本当に気の毒で、まずは16世紀にオランダ人に支配され、18世紀になると中国の明朝と清朝に支配され、19世紀は日本人に支配されました。

戦後は中国から逃げてきた国民党を中心とした漢民族に支配されます。

話は少し外れますが、過去数年にわたって国民党に虐げられ、不平等な扱いを受けてきた原住民ですが、総統府の選挙になると、原住民が人口の30%ぐらいを占める台東や花蓮は国民党支持の票が集まります。

なぜだかわかりますか?これについては中国の BBC の記者が興味深い記事を書いています。結論を言うと、国民党の昔からの人脈及び根回しが理由だそうです。

記事によると国民党は随分昔から原住民がいる地区に事務所を設置し、原住民に便宜を図ってきたそうです。マスメディアがまだ発達していなかった当時はメディアの情報よりも親戚の情報を頼りにする人が多く、親戚が国民党を支持していたため、他の人も支持していたそうです。

また、経済的に苦しい家庭が多い原住民にとって大事なのは台湾統一なんかよりも目の前の利益や便宜だったこともあって、これが国民党支持が現在まで続いている理由なんだそうです。

leo

花蓮や台東が国民党の支持基盤なのは知ってましたが、BBCの記事を見るまで理由は知りませんでした…

それはともかく、原住民は昔から不平等な扱いを受け、それが教育格差につながり結果的に低所得者が多くなったと言うことです。

原住民にとってのスポーツ (サッカー)

2010年、僕が初めて台湾に来た時、僕はある DVD に出会いました。「奇蹟的夏天」というDVD で、台湾の花蓮にある美崙國中という中学校のサッカーチームの1年を描いたドキュメンタリー映画です。

この DVD に出てくる中学生の大半は原住民です。

この映画が出たのは今から約15年前の2006年で、そこから12年経った2018年にその後彼らがどう成長したのか取材をした人がいました。みなさんも気になりますよね?

インタビューで大人になった当時の中学生の彼らがまず口にしたのは、「台湾ではサッカーを続けることが難しい」でした。

当時17人いた選手の中で現在も現役でプレーしているのはたった4人です。残りの選手は実力が問題で選手になれなかったのではなく、経済的な理由からサッカーを諦めてました。

映画に出た花蓮の選手はその後花蓮のサッカーが強い高校に進みます。サッカーの実力があった彼らは高校では授業料が免除され、住む場所と食事も与えられました。

しかし、大学では1学期に2万元 (当時のレートで6万5千円ほど) の補助金が出ただけで、多くの選手は学費と生活費を負担できずサッカーを辞めました。

また、選手の中には高校の授業についていけずそのまま卒業できなかったメンバーもいたそうです。唯一大学まで進んでプロサッカー選手になった4人も大学在学中はサッカーをしながら3つや4つのアルバイトを掛け持ちしたそうです。

やりたい事ができるありがたさ

僕はとても恵まれています。やりたい事ができているからです。僕が花蓮の農家にいた時、農場のスタッフはほぼ原住民でした。台湾人の食を支えているのはこういった原住民だったりします。

台湾では近年原住民の文化を持ち上げる傾向があります。伝統文化が特にない台湾で、唯一とも言える原住民の伝統文化を大切にしようという動きだったりします。

2022年1月現在の台湾総統蔡英文氏は2016年に原住民に対して、今までの不平等な扱いを公式に謝りました。

しかしだからと言って花蓮や台東に住む原住民の家庭が急に裕福になるかというと、そういうことはないでしょう。今回たまたま家を掃除していたら、「奇蹟的夏天」の DVD が出てきたので、この機会に原住民の話をしたいなと思った次第です。